1968-12-13 第60回国会 参議院 本会議 第3号
郵便料金の値上げ、これが決着いたしますると、間髪を入れず紀元節、いわゆる新しい建国日の設定に関する法律に対して強行突破を試みました。いわば話し合いの政治というものが基本であるかに見えるけれども、その現実は、常に力を頼んだ強行突破、こういう実績を私どもは経験いたしたのであります。
郵便料金の値上げ、これが決着いたしますると、間髪を入れず紀元節、いわゆる新しい建国日の設定に関する法律に対して強行突破を試みました。いわば話し合いの政治というものが基本であるかに見えるけれども、その現実は、常に力を頼んだ強行突破、こういう実績を私どもは経験いたしたのであります。
しかし、これは会議の目的でもなし、また二月十一日を建国日とするというようなことについて法務省が省議として意見をまとめるべき問題でもないわけなんで、そういう事情を、どういうものか新聞のほうで非常にセンセーショナルな記事として実は扱って、お騒がせをしたようなわけでございますが、真相はそういうことであって、決して法務省の意思をきめたのでもなし、法務省の多数の愚息がそこにあるというのでもないのであります。
ただ、しかしながら、たまたま文教委員会が取り扱います請願の中にこの趣旨が入っておったことはおそらく日本国民の大多数の方々が何を標準にしておられるかは別といたしまして、国の誕生日が持ちたい、建国日が持ちたいというこのすなおな気持の請願がいろいろな憶測を持って採択されないということは決していいことではないと思うのです。
○荒木正三郎君 ただいま議題になっておりまする建国日を制定する請願の件でありますが、建国日の問題については、私ども社会党におきましても、従来慎重に検討をしてきた問題であります。特に、さきの国会で、議員立法という形で、二月十一日を建国記念日とするというような法律案が提案されたことがございます。その際に、社会党は、これに強く反対をいたしました。
建国日を定めるということは、私は大きな国の政治に属すると思うのです。特にただお祝いをするということでなくして愛国心を涵養するということがその目的の一つになっておる以上、国民の感情が皇室中心主義に結びついていき、——その皇室の発展の歴史というものも、纐纈さんがおっしゃられるように、必ずしも美しい面ばかりではないでありましょう。
そこで、私どもまあ一歩退いて建国日を設定するにいたしましても、もう少し国民の生活にゆとりができて、みずから進んでお祝いしよう——みずから進んでお祝いしょうといたしますならば、やはりある程度精神的な余裕というものができてこなければ、あくせくしておりまして——ことに労働者のごときは、休みになりますと、サラリーマンはけっこうかもわかりませんけれども、非常に程度の低い労働者等になりますと、祝祭日ができると仕事
もちろん、建国日を設定するについては根本的には反対ではございませんけれども、ただ二月十一日にはいろいろ異論があるわけでございます。そういった形で二月十一日を必ず設定しなければならぬのかどうか。そこに私どもが大きな疑問を持つわけでございますし、なおまたその点を激しく皆様方に御指摘申し上げる理由もそこにあるわけでございます。
この建国日ができなかったということにつきましては、小野教授の申し述べられましたような、国際意識が強くなったときに始まったということに関連はあると思いますが、しかし日本民族で日本及び日本国というものにつきまして、この建国を祝うということは決して国民性に反するというように私は考えないのであります。
あとは熱烈な愛国者の脅迫状が多いのですが、そういうものを受け取ってみますと、どうも世論というものの中の種類はさまざまであって、ただ結論として二月十一日を国民の建国日にしたらどうかということの声だけを集めてみても、いろいろな内容があるのではないか。だからその点もう少し奥底の方から見きわめることも必要ではないかと考えておるわけであります。
○大村委員 和歌森教授の御公述の中に、建国記念日またはこれに類する祝祭日の点につきまして、諸外国の例のお話があったのでありますが、そのうちで建国日を持っている国は多くは若い国であって、英国のごとき古い国は建国日が定まっていないというお話があったのであります。私は英国が建国日を持っていないのは、古いから持っていないというわけではなくて、ほかに理由があるのではないかという疑問を持つのであります。
われわれは二月十一日を建国日であるというふうに断定するのではなくて、「建国の記念日」といたしまして、「建国」とそこに「の」が入っていることを特に稻村さんも御理解願いたいと思います。
それが適当であったか、それとも行き過ぎであり、好ましくなかったかという点についての料部大臣の見解を伺っていますと、教育委員会の方は、やや行き過ぎであったという結論を出されたというのですが、文部大臣としては、二月十一日は建国日であるからそれを祝うのは一つも差しつかえない、こういう意見だということを答弁されているから、文部大臣としてのあなたの発言としてそれは納得できないということを私は伺っているわけで、
二月十一日は建国日であるとか建国日でないとか、そういうことを私は議論にしていないということを冒頭に申し上げて、事公立学校が、義務教育の児童、しかもこれは法律に基いて教育されている。そうして学校がその一日を、いかなる状況で児童とともに一日を過ごすかということも、条例内規によってちゃんときまっている。
○北委員 私も非常に苦しんでおる盛りでありますから、互いに懇談的に意見を述べたいと思いますが、実はアメリカでは建国日浅いにかかわらず、伝統ができております。口を開けばワシントン、トーマス・ジエフアーソン、リンカーン御承知のごとくワシントンは独立の功労者であります。トーマス・ジエフアーソンはアメリカ独立の宣言書を書いた。
○天野国務大臣 私も、一つの国が独立して立つて行くのには、何かやはり建国日というようなものが必要ではないかと思つております。ただその日をいつにきめるかということは、これはまた研究を要する問題である。しかし、とにかくそういう建国日というものは必要であろうと思うのです。私もそういうことはよくわかりませんが、議員提出とかいう形が、適当ではないかと思つております。